楠本泰史選手の成長記録
松井裕樹選手のJr.時代(1分05秒くらいから)
松井裕樹選手の中学時代
対戦相手は現オリックス石川亮選手(武蔵府中シニア→帝京)
今夜は5年前に武蔵府中シニアを卒団した選手たちと当時のDVDをいろいろみた😊
— ふみふみ (@89fumi315) 2015年12月27日
こちらは勝ったら夏の全国大会出場決定!という大一番✨
青葉緑東Sの松井裕樹(楽天)vs武蔵府中Sの石川亮(日ハム)の最初の対決、勝ったのどっちだ😋 pic.twitter.com/m9MW9hU20i
楠本選手、松井選手はともに
ベイスターズJr.→青葉緑東シニアでプレー。
緑東時代に夏の日本選手権で日本一に。
私が見た試合は
2010年リトルシニア関東連盟春季大会 決勝
青葉緑東 対 江戸川中央
横浜高校の小倉部長も見に来てましたね。
この試合、江戸川中央の小田桐君の緩めの
変化球に緑東の打線はタイミング合わず
4番関口君もブレーキ。
唯一当たってたのが楠本選手でした。
松井選手はというと
正直なところあまり記憶にないのです。
『二人目に出てきた投手で球速は遅め』
この程度の印象です。
私がこの試合で気になったのは
緑東の先発
エース 坂本秀仁投手
松井投手の印象を薄くしたのはまさに
坂本投手のインパクトがあまりにも
大きかったから。
思い切りのよい腕の振り、しかも左腕。
130㎞程度は出ていたのではないか
と思います。
高校は山梨学院高に進みましたが
怪我に苦しみ、卒業後は専修大学で
野球は引退されたようです。
松井選手がプロ入り後、中学時代に
エースでなかった事について
以下のように語っています。
実はエースナンバーって背負ってないんですよ。
ベイスターズジュニアの時も背番号1は女の子でしたし、
中学の青葉緑東リトルシニアも違った。
でも、それが良かったと思います。
自分が2番手ということは、エースであるライバル、
目指す存在が近くにいるということなんです。
それって、本当にありがたいんですよ。
こいつを追い抜いてやろうみたいな気持ちが
常に持てるんです。
坂本選手の存在がなかったら松井選手の
甲子園奪三振記録
NPBセーブ王
メジャーリーグ移籍
といった輝かしい成績もなかったかも。
坂本選手の存在であったからこそ
今の松井裕樹があるのです。