消えた天才なんて言わせない

永遠に輝き続ける記憶ベースのアマ野球観戦記録

五十幡亮汰の足VS日本一をもぎ取った世田谷西シニア「2番打者最強」の先駆者

プレミア12戦士の五十幡選手。

U15侍JAPAN以来の代表選出でしたね。

 

五十幡選手のスワローズJr.時代はこちら。(1分40秒あたりから) 


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非常にわかりやすい成長記録


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五十幡選手は中学時代東京神宮シニア所属。

このチームは2009年のヤクルトJr.戦士たちが
「このチームを解散するのはもったない」
とのことで立ち上がったチーム。

五十幡選手はその2期生。 
もしかして東京神宮シニアから初のプロ?
東京神宮シニアホームページには未掲載。
ヤクルトじゃないから?

 

私が五十幡選手を初めて見たのは

2013年リトルシニア日本選手権 決勝 

対世田谷西シニア戦 
(※下の画像は世田谷西が先攻です)

この試合では
2打席目にタイムリ二塁打
3打席目に1塁線を破る三塁打

サニブラウンに勝った男という触れ込み通り
トップスピードが落ちない走塁技術も◎。
足だけではなくミート力も高い。

センス抜群で鋭い当たりを打てる選手でした。

 

この試合で気になった選手は対戦相手

世田谷西シニア 

2番 キャッチャー 

大坪亮介君

とにかく打ちまくる。長打も打てる。
最終回の大坪、村田の連続2塁打。
これでとどめを刺しましたね。

 

実はこの世代の世田谷西を見たのは2回目。

春季大会東東京支部予選
目黒西戦 @荒川シニアG

1番大串2番大坪3番村田4番岡5番谷田部
当時から驚異の打線。11対0で圧勝。

夏も期待通りに優勝となりました。
この後、大坪君は五十幡選手とともに
U15日本代表でチームメートとなりましたね。

高校時代、大坪君は桐光学園で1年夏から
背番号12でメンバー入り。
チームメートだった村田君の進んだ横浜高校
の壁は厚く甲子園出場はなりませんでした。


卒業後、
國學院大栃木ゴールデンブレーブスへ。

 

栃木ゴールデンブレーブスでは世田谷西時代
チームメートの谷田部君(日大三→立正大)と
再びプレイ。

 

現在の二人は

大坪君
横浜DeNAベイスターズブルペンキャッチャー

谷田部君 

福岡ソフトバンクホークス3軍マネージャー

日本シリーズの対戦を支える側で貢献!
野球熱は今もなお冷めていないようですね。

 

いまでこそメジャーな「2番打者最強」

大坪君が先駆けだったと私は信じて疑わないのです。