消えた天才なんて言わせない

永遠に輝き続ける記憶ベースのアマ野球観戦記録

甲子園メンバー入り濃厚 中学時代を生観戦した球児たち

センバツ出場校が決まりこの春には        
多くの選手たちが甲子園デビュー 。   
昨秋の段階でメンバー入りしていた選手
言い換えると甲子園メンバー濃厚な選手
の中で中学時代のプレーを生観戦した
選手リストは以下の通り。

新高2の代では

明徳義塾 里山選手
智辯和歌山 松本選手
早稲田実業 金城選手

以上3選手は1年生ながら夏の選手権で
甲子園デビュー済み。
里山選手はレギュラー捕手、松本選手は
セカンドで先発出場。

そして特筆すべきは金城選手。
大社戦の内野5人シフトの場面で
一番大事な5人目の野手として出場。
落ち着いて守備機会をこなしました。
更なる活躍をお祈りしてます。

新高3の代では

早稲田実業 灘本選手
智辯和歌山 渡邉選手、福元選手
明徳義塾 池崎選手

いずれも夏は僅差で悔しい負け方を
喫したと思います。ラストイヤーを
悔いなく戦ってください。
特に池崎投手は中1の秋から見ており
期待せずにはいられません。

そしてこの春も河川敷や地方球場で見た
数多くの選手たちがNHKを通じて
全国デビューを果たします。

明日以降、センバツが始まるまでは
上記のリストの中から思い出に残る試合を
ピックアップして綴っていこうと思います。











    

中学2年の石塚裕惺が対戦した金沢シニア中2ショートもドラ1に

石塚選手はロッテJr.出身

中学時代は佐倉シニアに所属。

中学3年時の石塚選手。すでに出来上がっていますね。


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石塚選手は中学1年の秋から強豪チームで
ショートのレギュラーを獲得。


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この試合は2019年秋季関東連盟決勝
浜松南戦に勝利。
翌春の全国選抜大会出場を決めていました。
が、コロナによりいったん開催見合わせ。
夏に短縮開催で3回戦(ベスト8)打ち切り
というイレギュラーな形で開催されました。

私が石塚選手を見たのは
その全国選抜大会 2回戦 金沢シニア戦
中学2年時代の石塚選手です。

https://www.littlesenior.org/shop/game/?action=view_movie&game_movie_vimeo_number=/videos/448731193

この試合は子安ー及川の佐倉バッテリーの
インパクトが強烈でした。
長打で3塁までランナーを進められた時の
明らかなギアチェンジで三振奪取。
終わってみれば2安打完封。

石塚選手は7番を打ってました。
打席に立った時の雰囲気がよく
守備もそつなくこなす
2年生とは思えない完成度でした。


そしてこの試合では金沢シニアも
2年生レギュラーがいました。
しかも8番ショートということで石塚選手と
同じような立ち位置です。

しかしどんな選手だったかは
手元の記録だけでまったく覚えてません。

高橋宏斗選手の時より覚えてません。

u15to18.hatenablog.com

その選手は
齋藤 大翔選手です。

埼玉西武ライオンズドラフト1位指名選手
となりました。

金沢シニアはエース竹内投手や
四番センター安井選手といった
がっちり体型の選手は覚えているのですが
齋藤選手は失礼ながら覚えていません。

後のドラフト1位高卒ショート同士が
中学2年で対戦している貴重な試合。
「片方のドラ1を覚えていない」
というやらかしが残念でなりません。

 

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そもそもこんな貴重な試合をどこも
取り上げていない。
さすがに当人同士はわかっているのかな。

齋藤選手からは
露出が少なくても誰かがきっと見ている。
分かる人に出会うまでそのチャンスを
自ら作る大切さを学びました。

石塚選手と違って中学以降の全国出場なし。
それでも4年後も同じ立ち位置にるのは
地道な努力の賜物でしょう。
応援してます。頑張ってください。

 

加藤響とともに全国3位を掴んだ海老名シニア140km/h投手

加藤選手はベイスターズJr.出身

中学時代は海老名シニアに所属。
中学時代の加藤選手はこちら


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中学時代の加藤選手は2試合みてます。

①2016リトルシニア日本選手権準決勝
対 栃木下野
5番サードで出場

②2017リトルシニア日本選手権準々決勝
対 佐倉
4番ショートで出場


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加藤選手は中学当時から強く振れる
というのが印象に残っています。
体感も強く守りも安定してましたね。

 

私がこの試合で他に気になった選手は
加藤選手が中2時代の2番手投手

鯨一馬投手

中学時代の鯨投手

5回表から登板(48分00秒から)


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投球練習の段階で130㎞/h後半を計測。
そして私の観戦史上2人目となる
球場スピードガン140km/hを計測。

1人目は松本南シニア甲斐(旧姓戸田)投手
2005ジャイアンツ杯決勝 武蔵府中戦

11年ぶりにみた球速表示に興奮したのを
いまでも覚えています。
撮影者もざわついてますね。

当然のように疑問が湧きます。
なんでこの投手が背番号1ではないの?
恐らくコントロールでしょうか
素人目線ではそのように感じました。

しかし一球で空気を変えることが
評価されたのかエース投手を差し置いて
この大会でベストナインを受賞しました。

鯨投手は横浜高校へ進学。
横浜高校では及川投手(阪神)がおり
甲子園ではメンバー外。
高校で野球は引退されたようですね。

 

鯨投手のピッチングから

強力な武器を一つ持てば

一瞬だけ人の心を動かせる

そのチャンスを逃してはいけない

ということを学ばせていただきました。

ありがとうございます。

 

 

 

度会隆輝世代の佐倉シニア名脇役達は甲子園準V戦士に

度会選手のヤクルトJr.時代はこちら(3分02秒あたりから)


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度会選手の中学時代


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中学時代は佐倉シニアに所属
2年時から5番セカンドでレギュラー
3年時は3番セカンドでした。

今と変わらずとにかく明るく元気
巧みなバットコントロール
広角に打ち分ける技術が高い選手でした。

この世代の佐倉シニアは黄金世代
他にも2年時からの中心メンバーが2名

1番ショート 角田選手
習志野→日大)
5番レフト 西川選手(2年時は4番)
東海大相模→ロッテ→くふうはやて)

 

度会、西川、角田の3選手は中2からの
観戦機会があったので4試合みてます。

①2016ジャイアンカップ準決勝
湘南ボーイズ戦 @東京ドーム
②2017ジャイアンカップ千葉予選
ヤング沼南BBC戦 @岩名球場
③2017リトルシニア日本選手権
世田谷西シニア戦 @神宮球場
④2017ジャイアンカップ決勝
小山ボーイズ戦

この中で最も印象に残っている試合は        
観戦した中で唯一の敗戦試合となった        
2017リトルシニア日本選手権です。  

この試合はこの3選手の活躍だけでなく
関東の名将監督の采配対決
タイプが真逆のエース対決など
とにかく見どころ満載でした。

試合終了後の満足感は私の観戦史上 
TOP3に入る名勝負でした。

世田谷西のエース木下君が本塁打を打てば
佐倉のエース諸隈君も本塁打で応酬。

最終回佐倉が一点差まで追い上げるも
同点を狙った走者が三本間に挟まれ
試合終了と記憶してます。

 

私がこの試合で取り上げたい選手は

佐倉シニア 最終回代打で出場

小澤拓海選手

最後のチャンスで内野ゴロ

高橋雅也選手

小澤選手は控えの内野手
度会選手というスーパー中学生の存在があり
出場機会に恵まれませんでした。

髙橋選手は私の眼には守備が買われての
レギュラー。木下投手の速球に対応する
パワーは少し足りないように思えました。

二人は角田選手らとともに習志野に進学
2年生の春の選抜甲子園に出場し準優勝
夏も千葉県を征し春夏連続出場

小澤選手は2番セカンドでいぶし銀の働き
髙橋選手は5番ライトでチャンスで二塁打

甲子園で上位打線を打つ2人の成長ぶりを
中央特別下段席で見させて頂きました。

習志野高校卒業後
小澤選手は順天堂大ベストナイン受賞
高橋選手は千葉商大で主軸打者
それぞれの大学で中心を担ったようです。

彼らの活躍から
自分の力で未来を切り開いていく大切さ
を学ばせていただきました。

ありがとうございます。

 

津留崎大成と2度の投げ合い G杯4強海老名シニアエース

津留崎選手はロッテJr.出身。

中学時代佐倉シニアでプレー。
当時はワインドアップでした。
力感のないフォームながら球が速い!
終速が落ちない直球が印象に残ってます。


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津留崎選手は慶応高校→慶応大学へ

慶応高校のこの代は最強メンバーが集結。
甲子園で活躍する姿を思い描いていました。

ソフトバンクの取手シニア出身柳町達選手
中日の髙橋宏斗投手の兄で豊田シニア
エースの髙橋伶介投手 などなど

しかしながら高校最後の夏は怪我。
投手としての起用はほとんどなく終戦
大学進学後もしばらくはリハビリ。

よくぞ復活してくれました。
さらなる活躍をお祈りしてます。

私が津留崎選手を見た試合は
2012リトルシニア関東連盟春季大会準々決勝

佐倉シニア 対 海老名シニア

この試合は津留崎投手がエンジン全開。
打たれる気配は全くなし。津留崎投手よりも
佐倉シニアの打棒に驚愕。

海老名シニアの投手も津留崎投手と同様に
伸びのあるストレートを投げこむ。
それをことごとく打ち返して6回コールド。

私の印象としては海老名シニアも
シートノックを見る限り非常に鍛えられ
投手も一級品のチームでした。

この対戦は夏にも再現しその時は
4-3で海老名が勝ちました。
あのコールド負けは何だったのか?

私がこの試合で気になったのは

海老名シニア エース

高野和毅投手

野投手の中学時代


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野投手は球は速いのです。
でもなぜかことごとく打たれるのです。

佐倉シニア再戦の際も初回に2点とられ
リリーフ投手が頑張ったようです。

それでも強い印象に残っているのは
何本打たれようが全力で相手に立ち向かう
その姿勢が応援したくなる気にさせました。

高校は横浜商大高に進まれましたが
最後の夏は背番号2の投手登録。
登板機会はなく引退されたようです。

あきらめずに一生懸命やる姿

これは必ず誰かが見ている
こんなことを高野選手のプレーから
学ばせていただきました。

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

淺間大基と実力もルックスも双璧 江戸川中央シニアの二刀流右腕

淺間大基選手は
ヤクルトJr.→中学時代新宿シニアでプレー。
当時はエースで4番、そしてキャプテン。
新宿シニア初のプロ野球選手なりました。

中学時代エースで4番はよくあること。
ですが、ほとんどの場合そのチームの中で
打つのも投げるのも1番うまいというだけ。
だいたい投打どちらかの方が長けています。

しかし、淺間選手は投打ともにハイレベル。
130km超えのストレート、切れの良い
スライダー長打も打てて足も速い

淺間選手ピッチング


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淺間選手バッティング(4分30秒当たり)


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上のステージでも活躍するイメージが当時から湧いてました。

 

私が中学時代の淺間選手を見たのは
2011年リトルシニア日本選手権準々決勝
新宿シニア 対 江戸川中央シニア

淺間選手は江戸川中央のクリーアップに
小刻みに点をとられ5回途中で降板。
打撃も相手投手に6回迄チャンスをつくれず
最終回なんとか1点差まで追い上げるも敗戦。

私がこの試合で気になったのは

江戸川中央シニア

5番エース主将

日暮圭一選手

チームでは淺間選手と同じような立ち位置。
投打でチームを奮い立たせる溢れる闘争心。
気持ちが前面に出るだけでなく技術も高い。

この試合でも淺間選手から技ありのヒット
同点の走者を本塁で刺すフィールディング
センス溢れるプレーは中学生離れしてました。

試合終了後、淺間選手に駆け寄るシーン
何度見ても感動ものです。(13分50から)


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淺間選手と日暮選手はともに横浜高校へ進学

どちらかがエースになるものと期待してましたが

淺間選手はほぼ野手、日暮選手は怪我に苦しみました。

当時のエースは現阪神の伊藤将司投手でした。

 

暮選手は関東学院大で野球は引退されたようですね。

ネットには『淺間選手とのイケメン対決』と書き込み

がありましたが

私の中では本気の男の熱い一発勝負であの夏一番の感動をいただきました。

ありがとうございます。

 

 

 

 

楠本泰史と松井裕樹を全国区に押し上げた青葉緑東シニアのエース

楠本泰史選手の成長記録


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松井裕樹選手のJr.時代(1分05秒くらいから)


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松井裕樹選手の中学時代

対戦相手は現オリックス石川亮選手(武蔵府中シニア→帝京)

 

楠本選手、松井選手はともに

ベイスターズJr.→青葉緑東シニアでプレー。

緑東時代に夏の日本選手権で日本一に。

 

私が見た試合は

2010年リトルシニア関東連盟春季大会 決勝

青葉緑東 対 江戸川中央

横浜高校の小倉部長も見に来てましたね。

この試合、江戸川中央の小田桐君の緩めの

変化球に緑東の打線はタイミング合わず

4番関口君もブレーキ。

唯一当たってたのが楠本選手でした。

 

松井選手はというと

正直なところあまり記憶にないのです。

『二人目に出てきた投手で球速は遅め』

この程度の印象です。

 

私がこの試合で気になったのは

緑東の先発

エース 坂本秀仁投手

松井投手の印象を薄くしたのはまさに

坂本投手のインパクトがあまりにも

大きかったから。

 

思い切りのよい腕の振り、しかも左腕。

130㎞程度は出ていたのではないか

と思います。

 

高校は山梨学院高に進みましたが

怪我に苦しみ、卒業後は専修大学

野球は引退されたようです。

 

松井選手がプロ入り後、中学時代に

エースでなかった事について

以下のように語っています。

実はエースナンバーって背負ってないんですよ。

ベイスターズジュニアの時も背番号1は女の子でしたし、

中学の青葉緑東リトルシニアも違った。

でも、それが良かったと思います。

自分が2番手ということは、エースであるライバル、

目指す存在が近くにいるということなんです。

それって、本当にありがたいんですよ。

こいつを追い抜いてやろうみたいな気持ちが

常に持てるんです。

www.nikkansports.com

 

坂本選手の存在がなかったら松井選手の

甲子園奪三振記録

NPBセーブ王

メジャーリーグ移籍

といった輝かしい成績もなかったかも。

 

坂本選手の存在であったからこそ

今の松井裕樹があるのです。